終わりがない電話会社との戦い

ああ、疲れる、また、また、また、(x数百、のように感じる)
新しい電話会社選び・・・

どれほどこれに時間、エネルギー、金を使っているだろうか・・・
海外でガイコクジンだけではなく、男女誰もが
安いサービスを見つけては必ず出会う
架空請求や電話会社のバカにしたような態度。
電話会社の役員と言っても受刑者を使っていたり、
北米の会社なのにプエルトリコやインドの電話線に
繋がってそこの役員を人件費を浮かせるために使っていたり
とまあ大企業もやってることである意味人助けと
取る事もあるだろうがまったくもって
顧客としては疑う部分も出てくる。

と言っても雇われる側には罪はない。
彼らへの教育、訓練などは雇う側の責任。
それに時々電話で話していて細かい架空請求についての説明に、私が

”ああ・・・もう、こんな雨のどんよりした日にこんな話ししたくないですよねー、すいません、
あなたのせいではないのにねえ・・・”

なんて良い人そうな電話の相手に言うと
”え、こっちはパナマですから天気がいいし暑くてカラカラしてるわよ~”
”うそ~、じゃあこんな問題話すのバカバカしいでしょー”
”あはは、まあ色々仕事ってあるから・・”

なんて会話も良くあったりする。
ホントニ会社の構造の問題なのだ!

今のところネットで調べて評価が高いものを使うつもりだけど
それやるだけで疲れてきた・・・
一つ見つけたのにそれは自分のいる州ではやっていないようだ。
また今度にしよーっと。。。

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移民学生の無知にカルチャー・ショック!

自分の住んでいる国に3時間時差があるのに
1/3くらいの生徒は”時差はない”
”あっても何時間かしらない”
”2時間だ”
などと言っていた。

生徒はほとんどがアジア系だけども
こんなことってあるんですねー。
家族に守られて近所の似たような人達としか
付き合わないとそんなもんなんだろうか。

まえは北米、という話をしたら
”呼び名を知らなかったから南米かも、と思った”
という生徒もいた(もちろん時差を知らなかった一人)。
これによって本当なんだなあ、と。
多分というかほとんどの可能性で
北米のニュースはみずにきっと見ても
ケーブルのアジア系ニュースをみてるんだろうなあ。

まあここで生まれたわけではない移民としても
これって結構恥ずかしいことで
大学生になってもこれを知らないで
すませちゃあいけないだろう。
こんな子達はみんなビジネスや経済を専攻してる
からね。お願いだからビジネス、経済の教授大先生方も
教えてやってくれよ、こういうこと >_<
というか高校で教えればいいのか。
ああ、わからん。

こういうのをいつまでたっても”常識”と
思って教育しないと移民などの”常識”の文化にいない人達が
遅れをとるんだろう。文化によって常識が異なるのは
当然だけどもこんなところにもで出たか、と
ちょっとがっかりした出来事だった・・・

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北米のニュースに見る日本スケート金とヲタク

まず、トリノのスケート、荒川さんが金か、と思って
色々番組を見てたら、スケートのプロなどがオリンピック番組の解説で”荒川は良かったわよ”とそれなりに褒めていた。
でもそのあと司会がぶっちゃけてました。
”でもどうですか、今年のちょっと
レベルが低くなったんじゃないですか。一体どうしたんでしょうか。”
プロは”それはそうですねえ、オリンピックはどうなるかわからないし、みんなかなり緊張していて実力者も始める前の顔でもう失敗するんじゃないか、と思えたし、実際にちょっとしたところで失敗して私たちはショックを受けました”などなど。やっぱり普通だったらこのレベルでメダルじゃないだろう、という感じに話してましたが。

もう一つのニュースではotaku、って英語で紹介してメイドカフェをうつし、
ソコの常連で興奮してメイドを見れて喜んでる
兄ちゃんが説明してました。
”オタクはITの発展に貢献してるし
オタクなしに日本のハイテク産業は語れない”

メイドカフェがうつって沢山のお客さんも見え、
ご主人様、とメイドが語りかける様子。
いらっしゃいませ、の代わりにお帰りなさい、というメイド。

そしてVTRが終わり、ニュースキャスター(女)は
笑いながら
”この男性が幸せそうなので私も幸せです”と発言。
う〜ん、やっぱり不思議な文化なんでしょうな。
英語の記事は以下。
日本のヲタクがIT発展の鍵を握る
”ヲタクの涅槃ではメイドが大人気”

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騒音繋がりで住民と絆を深める

ちょっと書いた上に住んでる人。
一年くらい経って初めて夜中じゅうかかる音楽について直接対決した人。
それ以来割と音楽は気をつけてくれていたんだけど
またラジオみたいな、以前から聞こえてくる
ものが夜中の5、6、そして朝の7時くらいまで
2日続けてなっていた。何度も目が覚めた。
だからまた私は優し〜く書いたノート(メモ)を
やつの部屋のドアに。

そしたら訪ねて来た。
”二日続けて、って書いてあるけど、僕は
君と話してから実は1時以降は何もかけずに寝てるんだよ。
多分他じゃないかな、今回は。”
”え、ほんとに?6、7時までずっとラジオかテレビが
流れて何度か目を覚ます程だったんです。。。”
”僕はスゴく深く眠る人間だからほんとに気がついてない
だけで、多分他じゃないかと思うんだよね。
今度できたら上の上、とかもチェックするのはどうかな。”
”あ、そうですね。あ、ごめんね、疑ってしまって。
もう関係ないのにあなたばかり疑っても悪いから
自分でちゃんとチェックするね”
”ああ、いいんだよ、ただ誤解はされないように、と思って”
”ありがとう”

こんな会話をした。直ぐ上じゃないくてそのまた上から聞こえてるのか?
それなのに上のやつ、目が覚めない?(だから、やつは何発も
かましてスゴくハイになってる可能性あるしねえ。だったらも目さめないので理解できる)
う〜ん、なんか上じゃなくて下とか横の周りがウルサいのかなあ、と思ってたら
ドアにトントン、とまた誰か来た。彼だった。

”いやね、せっかくだし、と思ってちょっと捜査じゃないけどやってみたよ。
そしたら隣の部屋の住民も昨日も上がおとといも朝の6時とかまでラジオかテレビがウルサかった、って言ってるから、これは僕の上の人みたいだよ”
”ええ??そんな上からなんだー”
”ほんとに僕は深く眠るからわからないみたいなんだ。
多分ウルサい時に2階程上に上がったらその音がわかると思うよ”
”そっかー。ありがとう、わざわざ。助かりました”
”いいよ。じゃあgood night!"

と彼はいい人ぶりを見せてくれた。
原因がわかって、彼じゃない、ってわかって努力してくれてるのを
知ったのも嬉しかったけど2階上かよ。。。
大家から良い人だ、って聞いてても直接対決するまで
一年くらいかかったのに、全然何にも接触するつもりも
なかった2階分上の人のところまで対決するエネルギーは
もう無いわよ・・・トホホ・・・

なんて思ってたら今日すぐ上から昼間聞こえた音楽は
私がバンドで一番好きなネ申バンドFugaziだった!
だからやっぱり上の彼のことは仲間だと思うことにした。
Fugaziのファンに悪いやつはいない。特に北米には
(メッセージが何か最低でも理解してるからね)。

と勝手に仲間になった気になり、上の騒音の問題は
なくなった!し、ちょっと嬉しい、すがすがしい気分になった。
まあ上の上からの問題はあるけどもね・・・

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都市中心主義の背景にあるアホらしい出来事

同業者の日本人男性、多分30代、が今年から来た。
悪い人ではない、というか自分勝手な上司に
はいはい、とyesマン振りをみせてる好青年?という感じ。
挨拶もしっかりするからきっと育ちがいんだろうな、という感じ。

”出身はどこなんですか”とまずは挨拶程度に聞いてみた。
”あ、東京です”
”え、東京ですか。もしかして山の手の方ですか(下町の人間にとっては
好青年的なところに山の手の雰囲気をみる)”
”いえ、もっと東の方の”
”え、東のほうだったら私もそうですよ。じゃあ、地下鉄は
何線使ってます?”
”あ、千代田線の。。。あの、松戸というところです。”
”ああ、松戸ですか。私はもうちょっと下の方かな”

なんて話していたのが数週間前。
今になって気づきました。わかりましたか?
松戸、って千葉なんです。

私もその時話の流れ出し、会ったばかりだし
そのままだったんだけど、そういえば
友人も千代田線で松戸で千葉だったなあ、なんて思って。
なんで松戸で千葉なのに、東京だ、なんてすぐわかりそうな
嘘つくんでしょうか。

時々海外に住む日本人で出身地をごまかす人間がいる。
東京です、って言ってよくよく話すと
まだ埼玉、栃木、群馬ならしょうがないとしよう、
でも名古屋だったり、静岡だったり、っていうのは
日常茶飯事なんですよ。

イワユル”都会中心主義”な概念の抵抗というかコンプレックスみたいな
もんなんだろう。
でもね、日本人でない人にいうならまだわかる。
東京と京都しか知らなさそうな人に
何度も、栃木はね、、、って説明するのも嫌かもしれない。
関東以内、とかだったら外国人に説明するのに東京にしちゃうのはまだわかる。

でも日本人相手に
千葉を東京、ってごまかすのは
コンプレックスにもほどがないか。

それもごまかして、松戸、って言ったあとに
千葉なんです、とかのフォローもなし。
このお兄ちゃん、ちょっと気が弱いのかね。

良い人そうだから付き合える、と思ったけど
こういうのでイライラして、
あんた、そんなしょうもない事で嘘つくの
やめなさい、とか言いたくなるので
その衝動を押さえにくくなるので
あまりお近づけになるのやめとこう(笑)
と思った次第だ。

最近日本もお国言葉がテレビでもてやはされ?
お国自慢、のような愛国心のようなナショナリズムのような
ブームがでていますが
同時に日本語をちゃんと話そう、みたいな
ナショナリズムみたいな右っぽい方向のようなところに
いくブームも。

だけど海外に来るとやっぱりまだ”地方”
の人達は素直に方言話してくれません。
私は人類学的な事にとっても興味があり、
言語人類学なんて専攻があるほど
文化と言語は密接な関係があるので
特に海外でしか滅多に一辺に会えない、
福岡の子、広島の子、山口の子、宮崎の子、北海道の子、
などなどと話すと日頃からイントネーションとか
違うし、色々と言葉の違いとか
当人から聞いてみたかったのだ。
それで普段から方言を時々出す友人に
”それでどういうのがお国言葉、って言われるの?”
と改めて聞くと
”なにいってるっちゃ、そんなのないっちゃ〜”
とフツーに”方言”で答えられ、
”あのさ、そういうのでもいいから教えて”と言うと
”なにいってるっちゃ、そういうもなにもないっちゃ、
私なまりとか方言とかないっちゃねー!!”
としまいにはちょっと怒っていて、
方言を使いながらも方言なんてない、っていうの
初めは冗談かと思ったんだけども。
彼女は博士課程の文学専攻の女性で
今はある大学で教鞭を取ってるんだけどね。。。
”私だって下町の方言があってね、どきどきだすのも
共通語って訳じゃなくて。。。”
と言っても
”私もそうだ〜、おんなじ言葉だ〜、まったぐいっしょ!”で終わったわさ。
東京下町言葉があなたの九州言葉と一緒と言ったら怒るやつたくさんいるぞー。
つうか九州の人だってそう言いたい人多いだろうにね。
海外に来るとなんか卑屈になっちゃうのだろうか。

お互い共通の第二言語を操る環境からの
同じレベルだったところから日本の出身地をだすことで上下の差がおき
”同じ立場なのになんでココで差をつける?”っていうことで怒るのかな。

一人、長崎の大学関係者ではない友人だけが
潔く長崎語を話してくれる。

私はとっても嬉しかったー!
かっこいいぞ!長崎の人好き?

海外に来ても
”英語がなんぼのもんじゃい!”
”日本語だってなんぼのもんじゃい!”
と卑屈にならずに我が道を生き続けたいし、
そういう人がかっこいいし見極めて行きたいです。
そう言う人は英語がわからなくても
こっちの良い人達は認めるしわかるしね。
まあ日本の文化、教育、色々な理由はあるにせよ
自分の背負ってきたもの否定したり隠したりせずに
胸はってやっていきましょう、みなさん。

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クリスマスに執着する北米人に冷めていく

クリスマスはキライというnicoさんの記事のTBです。
北米ではクリスマスを休日としないユダヤ人も多いし
大学環境にはユダヤ人がどっさりいるので
気軽に”メリークリスマス!クリスマスには何するの?”
なんて聞いちゃいかんのですよ。
その代わりに”休日にはなにするの?”
ならいいです。カードもMerry Christmas
というよりSeason's Greeting (季節のご挨拶)
という言葉をそえたほうが
相手がどんな宗教に入ってるかもわからないので安全です。

それでnicoさんの記事ではオーストラリアの方の
クリスマスを楽しみにしている文化のことが書いてあって、
朝のプレゼントの楽しみなんてあります。
私もそれを垣間見る機会いくつかありました。
プレゼントをいくらまで、なんて日本の友人と時々やってたように
言ったらまずそこでいや〜な顔。
恋人同士でお金を限定してプレゼントをあげるなんて!
という失礼に思われたようで。イベントのように思っちゃいけなくて
心をこめて相手を喜ばせるものがいいみたいで。
それでじゃ、と思って相手の受けを狙うのもいれた
近所の巨大スーパーで購入したでかいぬいぐるみスリッパとか
面白い時計とか、結構安値で済ませて楽しい反応を
もらおうと思ってました。相手は一緒に住んでいた恋人だったんです。

それでプレゼントをお互い渡してビックリ。
相手は収入も良くなくお金に困っているのに
かなり高価なプレゼントをくれたんです。
それもいくつも。私凄く申し訳なく思っちゃいました。
反省。
でも相手は私からのプレゼントを高いものと思ってくれたようで
それなりに喜んでくれましたが。
まあお金ではない、と言っても本人に金額の差が
バレたら凄く怒ったと思います。
だってそれだけクリスマスは特別なのに!!
ってヤツら思ってますから。

っつう感じで北米で経験したヤツらのイベントに付き合うのには
色々と話題がつきません。
勤労感謝の日Thanksgiving
だって家族と集まり食事、と決まってますから
それに外国人の私は恋人がいれば呼ばれるわけですよ。
それで相手の家族に私達がクイアカップルということや
一般に同性愛ということへに理解がされ始めたばかり
の時期だったりすると結構、かなり面倒ですから。
両親やキョウダイ、その連れや彼らの友人達が私達を
気遣って色々話す。そして唯一の外国人の私が
興味のターゲットにされ、細かく聞かれる。
”あなたの家族はなにやってるの?
将来はなにしたいの?キョウダイは?どんな家に住んでるの?
日本は物価が高いでしょ。部屋狭いの?”

まあ、フツーに誰しもが興味あることなんでしょうけど
かなりウゼー。
それに恋人相手が家族にカミングアウトしたばっかり
の時なんて恋人が”ビアンカップルよ、私達!”
というアピールを家族にしたいわけですよ。
”異性愛の恋人と同じく私達だって肩も抱くし
愛情示すし、以前連れてきた男の恋人と同じことするのよ”
っていうアピールなんでしょうな。
居間にいても家族が台所なんかにいるときは
リラックスしてフツウに座ってるのに居間に戻ってきたら
急にチューしようとしたりして。

恋人ウゼー。
って思った次第です。
欧米人恋人とその家族との参加儀式のようなものかもしれません。
でもそれ以来勤労感謝の休みに北米人の恋人や
友人に誘われても頑として行かず日本人の友人と
ホテルで豪華なディナーなんかに行く予定入れたりしてますワ。

って長くなりましたがもうこういう話も昔話なので
現在は誘われても最近はどうなのかいな、って思って
観察しに興味本位で行くかもしれません。
私も多少は大人になったしな。

北米の方達との生活に憧れを持っているかたも
おられると思うんですがそんな夢をぶち壊す
マイペースな生活でこれからも行きたいです。

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クリスマスに執着する北米人に冷めていく

クリスマスはキライというnicoさんの記事のTBです。
北米ではクリスマスを休日としないユダヤ人も多いし
大学環境にはユダヤ人がどっさりいるので
気軽に”メリークリスマス!クリスマスには何するの?”
なんて聞いちゃいかんのですよ。
その代わりに”休日にはなにするの?”
ならいいです。カードもMerry Christmas
というよりSeason's Greeting (季節のご挨拶)
という言葉をそえたほうが
相手がどんな宗教に入ってるかもわからないので安全です。

それでnicoさんの記事ではオーストラリアの方の
クリスマスを楽しみにしている文化のことが書いてあって、
朝のプレゼントの楽しみなんてあります。
私もそれを垣間見る機会いくつかありました。
プレゼントをいくらまで、なんて日本の友人と時々やってたように
言ったらまずそこでいや〜な顔。
恋人同士でお金を限定してプレゼントをあげるなんて!
という失礼に思われたようで。イベントのように思っちゃいけなくて
心をこめて相手を喜ばせるものがいいみたいで。
それでじゃ、と思って相手の受けを狙うのもいれた
近所の巨大スーパーで購入したでかいぬいぐるみスリッパとか
面白い時計とか、結構安値で済ませて楽しい反応を
もらおうと思ってました。相手は一緒に住んでいた恋人だったんです。

それでプレゼントをお互い渡してビックリ。
相手は収入も良くなくお金に困っているのに
かなり高価なプレゼントをくれたんです。
それもいくつも。私凄く申し訳なく思っちゃいました。
反省。
でも相手は私からのプレゼントを高いものと思ってくれたようで
それなりに喜んでくれましたが。
まあお金ではない、と言っても本人に金額の差が
バレたら凄く怒ったと思います。
だってそれだけクリスマスは特別なのに!!
ってヤツら思ってますから。

っつう感じで北米で経験したヤツらのイベントに付き合うのには
色々と話題がつきません。
勤労感謝の日Thanksgiving
だって家族と集まり食事、と決まってますから
それに外国人の私は恋人がいれば呼ばれるわけですよ。
それで相手の家族に私達がクイアカップルということや
一般に同性愛ということへに理解がされ始めたばかり
の時期だったりすると結構、かなり面倒ですから。
両親やキョウダイ、その連れや彼らの友人達が私達を
気遣って色々話す。そして唯一の外国人の私が
興味のターゲットにされ、細かく聞かれる。
”あなたの家族はなにやってるの?
将来はなにしたいの?キョウダイは?どんな家に住んでるの?
日本は物価が高いでしょ。部屋狭いの?”

まあ、フツーに誰しもが興味あることなんでしょうけど
かなりウゼー。
それに恋人相手が家族にカミングアウトしたばっかり
の時なんて恋人が”ビアンカップルよ、私達!”
というアピールを家族にしたいわけですよ。
”異性愛の恋人と同じく私達だって肩も抱くし
愛情示すし、以前連れてきた男の恋人と同じことするのよ”
っていうアピールなんでしょうな。
居間にいても家族が台所なんかにいるときは
リラックスしてフツウに座ってるのに居間に戻ってきたら
急にチューしようとしたりして。

恋人ウゼー。
って思った次第です。
欧米人恋人とその家族との参加儀式のようなものかもしれません。
でもそれ以来勤労感謝の休みに北米人の恋人や
友人に誘われても頑として行かず日本人の友人と
ホテルで豪華なディナーなんかに行く予定入れたりしてますワ。

って長くなりましたがもうこういう話も昔話なので
現在は誘われても最近はどうなのかいな、って思って
観察しに興味本位で行くかもしれません。
私も多少は大人になったしな。

北米の方達との生活に憧れを持っているかたも
おられると思うんですがそんな夢をぶち壊す
マイペースな生活でこれからも行きたいです。

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専門職学者の社会性は小学生並み?

学問の訓練の違いというのは想像以上にある。
博士だか教授だか一つの専門をやっている人間が
他の専門の人間と会って一つの一般の話をしていると
どうも社会性のある、なし、を良く感じてしまう。
コミュニケーションというのが出来ないのだ。

現在、”外国人”同士で交流する集まりで文化に触れるため
一つのテーマをそれぞれが決めて話し合う、というものに参加している。
多いのは東ヨーロッパからの人間と東アジアの人間。
自分のグループには日本からの人間は私だけで。
そして15人くらいいるグループの専攻がサイエンス系じゃないのも私だけで。
そこで自分はかなり我慢している。
自分は社会科学の知識が専門なため、”一般の話をして文化に触れる”
となると日頃考えていることに繋がることが多い。
だから正直色々なレベルで話せるからどこから話そうかな〜と
トピックがはっきりすればするほど面白そうと思う。

しかし、コンピューター、エンジニア、経済、などの知識背景から
来た人間にそういった一般的なテーマで話してもらうと
はっきりしたトピックだと何を話していいかわからないらしい。
だから大きなテーマに残して、一般的にまとめたくなるらしい。
それでそんな偉そうな選ばれた人間が
”家族””将来”"教育”という大きなテーマで
〜百年、〜千年の歴史や
文化を数分でまとめて話してしまっていた。
それも同じ国出身の5,6人が同じようにうなずいていたりする。
なんとも表面的で小学生でも話せる内容となってしまっている。。。。。

小学生の知識がおかしい、ということではなく大学で何年も訓練されている
ことがほんとに一般社会では役に立たない、ということを証明してる気がするのだ。

家族の関係、将来という意味、男女の役割、などなど・・・
ここまで表面的な話を続けるとステレオタイプを強調するだけの気もする。
なぜなら彼らの一般的な文化の理解、というのはここ200,300年変わっていない
ようで、それらの時代を例にだして自分の経験と同じにする。

こういった場で、もし自分が
”日本の女性は着物を着るし、女性が男性を立てるし、
家族の絆は強くて、祖父母を尊重し、母親は料理をいつもつくってくれて
父親はよく残業もしてなかなか家に帰ってこなくて、
受験戦争というのが激しくて・・・”
と言うと彼らは納得するのかもしれない。
これが日本のイメージだし、これを実際に聞くと安心するようなのだ。

でもそこでもし自分が
”家族の理想を持って暮らしている人もいるが実際はかなり壊れていて
引きこもりの問題もあれば自殺も離婚の率も上がっているし
不倫も多いし、最近こんなに変わった、っていうだけでなく
昔から年々変化はあって、芸者や着物なんて基本的に
見ることないし、寿司なんて高いし滅多に食えないし
基本的に家族が何をやってるか知らないし、ブツブツブツ・・・”
なんてことを言ったらあっというまに彼らの日本のイメージが
崩れ、驚き、日本ってこうなんだってーっていい話のネタになるだろう。

海外にいると実はこの繰り返しなのだ。
いつでも聞かれるし、その答えも相手によって変えないと後で面倒になる。
ただ、近所のおばさんや友人という相手だと表面的なことやほんとに日頃感じることを
言っていけるが、大学の環境の中で、それなりのプロがいて
話し合っている、となるといい加減なこともいいたくないし
ステレオタイプになることもいいたくない。

しかしまわりがあくまでもつまらない、想像のできる
200,300年の話をしているとまわりに合わせて話せばいいのか、とう
気にもなる。まあ結局どうしたか、というと、私は日本を代表して
話すつもりもなければ個人的にとってもクリティカルな視点が多いので
そういった人の意見、としてみて下さい、と注意を託し、
自分が最近気になる問題を話した
(日本男性のアニメ・ヲタの面白い状況と彼らのあるコミュニケーションの仕方)。
アニメーション文化というのは世界的に日本は知られているので
やつらも興味をしめすし、最近町であった国際映画祭でも日本のアニメヲタについての
ドキュメンタリーがあったのでそれを例にしてみた。
だって面白い話をどーせだったらしたいし。もう着物、寿司、芸者はごめんだ。

結局それでもまわりが話した内容と自分の内容とのギャップはでるわけで。
まわりはとってもつまらない、ありがちな表面的見解のまとめ。
だから小学生も話すような内容。
”つ、つまんね〜。あんたら100年後も千年後も同じテーマで同じ話するんだろお”
と心の中の悪魔が突っ込んでいました。

これでさらに確信。
専門知識の訓練というのはどんなに権威的な環境での訓練でも
社会性と繋がるわけでは全くない。
逆に、専門知識の訓練をもった人に限って、その知識へ向ける時間とエネルギーの
規模が莫大だったりするから社会や一般生活に向けるものへの時間とエネルギー
への比が少なくなり、ギャップがスゴイし価値を置く事もなくなっていくのかもしれない。

だから余計に人より社会性に欠けることもあると思えるかもしれない。
自分も含むかもしれないが日頃からこういった状態にも
ブログに示したりして敏感になっていたいとまた思ったのだった。
(*ちなみに自分の話を聞いてヨーロッパ陣は爆笑してくれました。
でも人によっては自分の話をつまらない、とか、ほんとかよ、と思うと思いますから人のことは言えないのかもしれません)

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← 死体  図書館  →

ついでにも一つおかしなお話。
今日図書館に本を返しに行った。
それで度肝を抜かれた。

大学の図書館に返却するのだが大学が大きいため
図書館が科目によって存在していて、
色々な場所に散らばっている。
例えば、教育図書館、法律図書館、アジア図書館、人文学図書館、医療図書館など。
でも同じ大学に所属しているため、どの図書館で借りても
どこに返しても良い。
そして大学が州や政府の政策に関係していることが
多くあればあるほど、街中にも関係者が多く来るし、
大学が経営する建物も必要になる。
そして街中に図書館も必要になってくる。

今日筆者が行ったのは家の真後ろにある大きな病院内にある大学の医療図書館。
大学の図書館を付属させてる街中の大きな病院はいくつかある。
大学の関係者、教授などが通うからだ。

そして自分は実は結構今の家に住んでから何年も経つのに
後ろの病院にこの大学の図書館が入ってるとは全く知らなかった!
今まで返却時間まで何分前、とかって焦って車でキャンパスまで夜中に
走ったことが何度あったことか。
もう、誰も教えてくれないですからね、こっちの生活環境。

まあ、喜んで今日から本を返しに行ったんです。
まあ後ろの建物なのでサンダルにユニクロフリースパンツ
というコンビニ気分で。
まず大きな入り口はER(緊急患者のための)用で
救急車があったりして大それているので
建物の横の小さい入り口から入ってみる。
簡易ベッドに横になったままの患者さんが
医者らきし人と前から来て、すれ違う。

う〜ん、図書館はどこだ。
どうみてもフツウの病院だなあ・・・
と自分の格好が入院患者が病院内の
キオスクに行くときの格好に思えてきた自分は
本を持ったまま自然にすたすたと
頭上のサインにある病院案内所に向かった。

”図書館はどこですか”
”関係者の方ですか”
”いやあの大学の図書館に行きたいんですけど”
”ああ、奥へ行って、下への階段を下りて、右に曲がるとありますよ”

スタスタと一番奥まで歩き、
図書館 ↓
のサインを階段で見たので降りてみる。
降りて初めの階に行こうとしたら
白い壁と廊下だった病院と
ガラッと違った雰囲気で
薄暗く、濃いグレイの廊下が見えて
涼しく感じた。

そこではっ!と思い出す。
エ、病院の地下、と言えば、アレ、アレ、ありますよねえ・・・
ソソクサ、ともう一階下に下りてみたら
行き止まり。
このグレイの廊下しかない・・・

そこでその階に行ってみると
コンクリートがそのまんま打ちっぱなし
のような壁と廊下。
前と後ろを見ても図書館らしき建物ないし
暗いし。3時だけど。

ど、どうしよう・・・と見れば
壁にたくさんサインがあった。
そしてそこには左に大きく


←検死 (解剖)

ケ、ケンシってえ〜!

頭には涼しい一部屋にズラ〜っと並んだ死体の列が浮かび、
あるいは薬のプールに漬けてあるたくさんの死体、
たまに手や足が反射でピクン、ピクンと動いている状況が浮かぶ。

ウソ、なんで図書館、こんなとこから行かなきゃいけねーの!!?
とまたキョロキョロしたら、
そのサインの右の方に気持ち遠慮がち?に

図書館→

とあったではないか。
ア〜、あったね、あったね、合っているね。
サインを見て、どっか明るいところを曲がって
白い病院ぽい廊下が出てきてずっと歩いたら
左に図書館のサインが。

受付の姉ちゃんに
”あの、この本返したいんですけども・・・
あの、上に戻るのにここの廊下通らないで
戻りたいんですけど、どうやったらこっから
すぐ上に行けますかねえ。”

お姉ちゃん、ちょっと顔ひきつってました。
で、教えてくれたのもよくわからず
結局エレベーターを近くに見つけて
長い時間待って無事外に戻りました。
でもとにかく外に出たかったので
来たところと違うところにでましたが。

凄く家から近いけど、図書館にもお姉ちゃん以外人いなかったし
これからどれだけ利用するかちょっと考えモノだ・・・
近所に図書館欲しかったんだけども。
慣れたらへっちゃらになるものだろうか。

なんか、病院の地下、っていう誰もがわかるところに
サイン付けて
死体さんたちと同じフロア、ってわからせておきながら
図書館の場所お知らせすんなよなあ・・・

そんなトコに図書館入れるなよなあ・・・
そこで勉強しても何でもそっちに繋げて
プラシーボ(?)現象、勧んで起こしてしまうじゃないの。
ああ、びっくりしました。

まあお医者さんは良く見るものだろうけども
死体さん達、図書館行く度にすれちがったりするのは
出来れば避けたいですワ。。。

ああ、また意味もなく長くなってしまった・・・(−−;)

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表現の自由を尊重したい

文化によっては良いことも悪いことも言ってはイケナイ、ところがあるそうだ。
宗教によっては、ともいえる。
悪いことを話すことで差が生まれるし、良いことを話すことにも差が生まれる。
筆者は両方とも良く話す。
でも構造批判的な視点で先につなげるよう何年も訓練されてきた。
でも時々悪いことばかり言ってるよなあ、と感じる。
特にこのブログをやってると、目的に社会・文化疑問や批判を
持ってきたのでじっさい”それしか”書かない。

こんなことを良く思う。
人の脳というのは悪いことばかり考えているとその比率が脳の中で
覚えられていき、選択されていき、悪い思考が生まれやすいのではないか。
例えば、家でワイドショーを見てばかりいて、ヨンさまばかりを
好んで、選んで見ていたらヨンさま脳になってしまう。
人と話すときもその覚えた脳から話すもんだからヨンさまが結構残る。

いや、”電車で化粧をする脳”とかそういったことをいうつもりではなくて。
ヨンさま現象批判をしているつもりではなくて。
脳に同じ事を覚えさせ続けるとそればかり脳も好んで選んで覚えて行ってしまうのではないか、と。
だから悪いことばかり言ってたらそっちに脳が傾いていっているような。
ネガティブな思考を好んで癖になっていくような。

それで以前も書いた北米カウンセリングの話で北米の特定の人達は良いことばかり
好んで、選択して、悪いことは削除して話すようにする、と言って、
ドロドロした部分は削除される、とコメントで助言して下さった方たちもいた。
それでさらに思った。

表現の自由というのはと〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
てもダ・イ・ジ・!

よい事ばかり、悪いことばかり、そして両方だめ、などというのは
文化的には尊重する。でも自由にどれでも選べるとはなんと素晴らしいことか!
時がときであれば、場所が場所であれば、政治が政治であれば好きなことを言えない。
北米のカウンセリング族にネガティブな話をして白い目で見られても、
ネガティブな話をして嫌な気分になっても、ある程度は自分は好きに選んで表現
していきたい。表現の仕方はどうでもいい。公けでも、プライベートでも、友人同士でも、
ネット上でも。それさえ許されない人達がいる。

韓国の友人がいる。韓国ではインターネット事業がかなり発達していて、
知識の広がりもスゴイ。
自分のブログを持っている友人に”なんていう名前でのってるの?”
と聞いたら”ハっ?”と言われた。
”韓国では実名を表明しないでサイト持つことはできないんだよ”
”うそーん。登録する時にだけ実名、とかでしょ”
”違う違う。自分の名前と名前がわかる一人一人に当てられたID番号が
サイトに載ることになってるんだよ”
”ほんとーに?”
”ほんとに!”
これを教えてくれた友人は10歳くらい年上の女性で凄く真面目で
息子の外国での教育のためにこちらに来ている人。
うそついているようには見えなかった。
検証していなので実際はどれほどのコントロールをされているのか
わからないけど。
彼女は筆者のブログの内容を聞いてまた驚いていた。
”え?実名わからなくていいの?それで告発的なことも書いていいの?
それ韓国では考えられない。前より断然マシな政府だけどそれでも
まだ何を書いていいか、書いてはいけないかはコントロール化されてるよ”

まあ、こっちでも選択があるようでないような表現、コントロールされていないようで
されている表現というのはある。それでとっても迷惑な影響を受けることも。
だけど選択視がある、というのを筆者は評価したい。
良いことを書いてもいいし、悪いことを書いてもいいし、
全部言いたいことを言ってもいいし、表現を抑えたければ抑えればいい。
そういった自由さというのを評価したい。
思い出した。もともと自分のペンネームもそういった視点から来ていた。
好きなように自由に気持ちの流れるままに。
それが可能な場所がやっぱり心地良い。

もちろん、社会のルールには影響されるから
良いことばっかり言ったほうがいい気持ちになるときもあるし、
ネガティブなことを言って/書いて嫌な気分が残ることもある。
そんな価値をカウンセリング族の前で壊したくなることもある。
まあ色々な経験をすればするほど試行錯誤が必要になる。
でもそんなところに人間味が出るとも思う。
まあまだまだ人間性を磨いている修行中だけれでも
物事は変化していくし、動かしたくなるし、
ただ選択ができるという現状にとりあえず感謝。

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