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メディアの国際性っつうのはすげえなあ。

最近ローカルの雑誌/新聞二つからインタビューを受けた。
最近日本関係の映画祭を構成したのでそれ関連への質問。
ローカル雑誌/新聞は日系のものではなく、
映画祭のこと、日本のことを特に聞きたいのだろうけど
面白い事にインタビューアーが日系でない(いわゆる白人)
人は”西洋に入ってくる最近の日本文化”ということに
興味があるようで社会現象としての日本映画のようなことを聞いて来た。

もう一つはもっと大きな新聞だったんだけど
日系のインタビューアーで以前学業関連の話をインタビューされたことのある人で単にそれぞれの映画の内容を聞かれた。

先のメディアの人は結構文化的なことを突っ込むので
それに私が自分の視点を入れどんどん答えるだけど、私も話していて相手はそう感じるのかー、きっとかなりの西洋人はこうやって見てるんだろうなあ、って誤解されないよう説明してもどれほど理解されているのかはわからない。だってもともと相手は”最近の日本文化”というのが凄く変化していて以前とかなり違うと思っていて、正直ある限定されたところだけしか見られてないんだと思う。
一部だけみてて他の一部が見れるようになれば変わったように見えるかもしれないけど実際はいつも違う面は以前からあって。。。と
説明してみたのだが結局

”日本は昔から変わっている部分があった!”
と取られただけのようだった。

というのも最近は大衆文化の影響でアメリカのセレブ、歌手、俳優に日本と言ってとりざだされるのは服で言えば山本ヨージ、コムデギャルソンなどのアバンギャルド系。映画で言えばタランティーノがカバーした日本の文化。スタバ以外でも北米のカフェのどこにでも今はある”抹茶ラテ”。そして”禅”仏教。グウェンステファニの”原宿”ビデオ。という感じで日本は変わってる〜という印象が強調されている。

前から日本には色々なものがあるんだ、と、それはアメリカにも色々あるし、イギリスにも色々あるし、という意味で言ってるんだけど結局”やっぱり日本は前から変わってたのね”となりやすいようで”他の国と同様、変わってるところもあればそうでもないところがあるのね”とはならず、潜在観念はなかなかかわらないようだ。

もう一つの日系のインタビューアーはそれをもう十分理解していて、
”なんでもかんでも日本は変わってる、自分たちと違う、って取られちゃうんだよね〜”と共感。どれだけ言ってももとの観念はかえられなく、そのインタビューアー自身も4世なんだけど初めて日本に行ったときは
”ああ、なんだ、日本はこんなに色んな面があるんだ”って思った、と言っていた。

物事を話して色々考えたのは始めの日系ではない人とのインタビューだったけど2つめの、映画の内容を聞くだけ、というベーシックな質問をして日本文化の話を内容に入れなかったのは日系のインタビューアー自身の日本への理解、ステレオタイプをわざわざ作ろうとしないという概念もあっのかなあ、とも思った。

あと、新鮮だったのは”映画”という国際的に誰にでもアクセスのあるものへの話だと人種や年代の背景を超えて初めて会った人でも何でも質問しやすいところがある。これは以前NPO/NGO関連や学業についてインタビューされたときと違うものだった。映画のことだと知らない相手と話していてもある程度共通のトピックなどを持って来やすい。学業やNPO/NGOだと相手が経験者でないならかなり話の内容が一方方向に陥り、同様の“楽しい雰囲気”がなかなか出にくい気がするんだなあ。

結局相手が文化の流れを同じように見ても見なくても、色々と考えて話ができることに私は意味を感じるし結局それがコミュニケーションをするという意味だと思う。全く違う視点がそれぞれの国、文化で受け入れられて全然結構じゃないか。だけど学業は結局誤解されたりするのは大問題であって”誤解されても話ができるだけでいい”って訳には表面上いいかもしれないけれども理論上には絶対に成功しない。この違いは大きいんだなあ〜と思う出来事だった。

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